ジャニス・ジョプリン『伝説のロック・クィーン/ジャニス』

『Janis』(邦題:伝説のロック・クィーン/ジャニス)は、Janis Joplin(ジャニス・ジョプリン)の死後に制作された同名ドキュメンタリー映画をもとに、1975年にColumbiaから発表された2枚組の編集盤です。
一般的な「ベスト盤」ではなく、絶頂期のライヴ、テレビ・インタビュー、そして無名時代の私的録音を並べることで、ロックスターとしてのジャニスと、その前史にいたひとりの歌い手を同時に聴かせる“音による肖像記”といえます。
公式サイトも、本作を映画のサウンドトラックにライヴ録音、インタビュー、初期の粗削りな演奏を組み合わせた作品と位置づけています。
映画から生まれた回顧録
本作の核になったのは、1974年公開のドキュメンタリー映画『Janis』です。
ジャニスは1970年10月、27歳で亡くなっており、このアルバムは彼女の死後約5年を経て世に出ました。
つまり、キャリアを時系列に整然と総括するための作品というより、映画の流れと感情の起伏をレコードへ移し替えたものです。
第1面から第2面に相当するディスク1には、映画のサウンドトラックを中心に、ライヴと肉声が断片的に配置されています。
1970年トロント公演の「Try (Just a Little Bit Harder)」、1969年フランクフルト公演の「Ball and Chain」「Summertime」「Maybe」、さらに「Piece of My Heart」「Cry Baby」「Me and Bobby McGee」などの代表曲が収められました。
曲の合間に、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでのインタビュー、ディック・キャヴェットのTV番組での会話、故郷テキサス州ポート・アーサーの高校同窓会に関する場面まで挿入されます。
この編集は、聴き手に“名曲を連続再生する快楽”を与える一方で、ジャニスという人物が置かれた孤独や、成功と自己像のねじれを意識させます。
舞台上では圧倒的に自由で、ほとんど身を裂くように歌う。
その直後にインタビューの声が入り、彼女が気取らず、ときに不安を隠しきれないひとりの人間として現れるのです。
サウンドの振幅
ディスク1のジャニスは、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー(Big Brother and the Holding Company)、コズミック・ブルース・バンド(Kozmic Blues Band)、フル・ティルト・ブギー・バンド(Full Tilt Boogie Band)という複数の時期をまたいでいます。
そのためサウンドは一様ではありません。
ビッグ・ブラザー期の「Piece of My Heart」には、サンフランシスコのサイケデリック・ロックらしい、荒々しく渦を巻くようなバンドの熱があります。
コズミック・ブルース・バンドを伴う「Ball and Chain」や「Summertime」では、ホーンを含む大編成の厚みと、ブルース/ソウル志向の強さが前面に出ます。
そしてフル・ティルト・ブギー・バンドの「Cry Baby」「Me and Bobby McGee」には、より引き締まったロックンロール・バンドとしての推進力があります。
ただし、どの編成でも中心はジャニスの声です。
彼女の歌唱は、正確に整えた正統派の美声とは対極にあります。
しゃがれ、裂け、叫び、語尾が崩れ、音程の縁を危うく滑る。
しかしそれは単なる激情ではなく、ブルース歌手ベッシー・スミスやフォーク、R&Bの歌い手たちから学んだ、言葉に身体的な重量を与える表現でした。
たとえば「Ball and Chain」では、一つのフレーズを長く引き延ばし、苦痛を言語より先に声の質感で伝えます。
演奏曲というより、感情がその場で生成されていく記録です。
初期録音の意味
本作を特別なものにしているのはディスク2、「Early Performances」です。
ここには、1963~64年にテキサス州オースティンで録音された演奏と、1965年にサンフランシスコでディック・オクストットのジャズ・バンドと録音した4曲が収められています。
公式サイトも、このオースティン時代とサンフランシスコ時代の初期音源を本作の重要な構成要素として挙げています。
ここで聴けるのは、後年の大音量バンドを従えたジャニスではありません。
「Trouble in Mind」「See See Rider」「San Francisco Bay Blues」「Careless Love」などには、戦前ブルース、フォーク、ジャズ、トラディショナルへの親和性があります。
伴奏は小規模で、録音も洗練されていません。
しかし、すでに声には特徴があります。
若い彼女は歌を“巧く聴かせる”より、曲の中に自分の息づかいを持ち込もうとしているように聞こえます。
自作曲の「What Good Can Drinkin’ Do」「No Reason for Livin’」「Mary Jane」「Daddy, Daddy, Daddy」も重要です。
ジャニスを「60年代カウンターカルチャーが生んだシャウター」とだけ理解すると見落としてしまう、フォーク・ブルースの書き手、古いアメリカ音楽を自分の言葉にしようとする若い表現者の姿が現れます。
ライヴの名演を集めたディスク1と比べると、ディスク2は完成度よりも出発点の切実さを聴くためのものです。

トラック・リスト
Record 1
Side 1
- ベンツが欲しい(MERCEDES BENZ) - 1:35
- ボールとチェーン(BALL AND CHAIN) - 8:06
- ラップ・オン・“トライ”(RAP ON "TRY") - 1:38
- トライ(TRY) - JUST A LITTLE BIT HARDER) - 4:01
- サマータイム(SUMMERTIME) - 4:31
- アルバート・ホールでのインタビュー(ALBERT HALL INTERVIEW) - 1:18
- クライ・ベイビー(CRY BABY) - 3:56
Side 2
- ジャニスの祈り(MOVE OVER) - 4:00
- ディック・キャベットによるT.V.インタビュー(DICK CAVETT TV INTERVIEW) - 4:10
- 心のカケラ(PIECE OF MY HEART) - 4:00
- ポート・アーサー・ハイ・スクール・リユニオン(PORT ARTHUR HIGH SCHOOL REUNION) - 1:40
- メイビー(MAYBE) - 3:54
- ミー・アンド・ボビー・マギー(ME AND BOBBY MCGEE) - 4:20
Record 2
Side 1
- トラブル・イン・マインド(TROUBLE IN MIND) - 1:35
- 酔いにまかせて(WHAT GOOD CAN DRINKIN' DO) - 2:22
- 銀の糸と金の針(SILVER THREADS AND GOLDEN NEEDLES) - 2:27
- ミシシッピ・リバー(MISSISSIPPI RIVER) - 2:32
- ステアリン(STEALIN') - 2:04
- 生きる望みを失くして(NO REASON FOR LIVIN') - 1:44
- ブラック・マウンテン・ブルース(BLACK MOUNTAIN BLUES) - 1:48
- ウォーク・ライト・イン(WALK RIGHT IN) - 2:02
Side 2
- リバー・ジョーダン(RIVER JORDAN) - 3:48
- メリー・ジェーン(MARY JANE) - 2:04
- カンサス・シティ・ブルース(KANSAS CITY BLUES) - 1:42
- ダディ・ダディ・ダディ(DADDY DADDY DADDY) - 2:02
- C.C.ライダー(C.C. RIDER) - 2:23
- サンフランシスコ・ベイ・ブルース(SAN FRANCISCO BAY BLUES) - 1:42
- ウィニン・ボーイ(WININ' BOY) - 1:54
- ケアレス・ラブ(CARELESS LOVE) - 3:00
- 涙の海に溺れて(I'LL DROWN IN MY OWN TEARS) - 1:33
参加者と制作の痕跡
この作品は新録アルバムではないため、「一つのスタジオ・セッションに集まった参加者」をクレジットする性格の盤ではありません。
収録曲ごとに、ジャニスの異なるバンド歴が刻まれています。
代表曲「Piece of My Heart」ではビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、「Ball and Chain」「Summertime」「Maybe」ではコズミック・ブルース・バンド、「Try」「Cry Baby」「Move Over」「Me and Bobby McGee」ではフル・ティルト・ブギー・バンドが聴けます。
したがって本作の「制作」は、演奏を新たに作り上げる仕事というより、膨大な映像・音源アーカイヴから何を選び、どの順番で接続し、どこに本人の発話を置くかという編集の仕事でした。
曲の途中や合間に言葉を置く構成は、ジャニスを神話化し過ぎない効果を持ちます。
一方で、映画のサウンドトラックゆえに収録は断続的で、通常のライヴ盤やスタジオ盤のような統一感を期待すると、散漫に感じる人もいるでしょう。

反響と聴きどころ
当時の批評的反応は、手放しの称賛一色ではありませんでした。
ロバート・クリストガウの『Christgau’s Record Guide』ではC+評価で、編集盤としてのまとまりや選曲に対する留保がうかがえます。
商業面でも、1975年の初出盤はアメリカで50万枚を示すゴールド認定には達していませんでした。
しかし、この作品の価値はチャート順位だけでは測れません。
1993年には別内容の3枚組ボックス・セット『Janis』が発表され、こちらは批評家投票で再発作品の上位に選ばれました。
これは1975年盤と混同されがちですが、同名でも別作品です。
1975年盤『Janis』を聴くべき理由は、ジャニスの“最良の一曲”を探すためではなく、その声がどこから来て、どのように巨大な舞台へ達し、それでもなお個人の脆さを抱えていたかをたどるためです。
『Cheap Thrills』や『Pearl』が一つの時期を強烈に封じ込めたアルバムだとすれば、『Janis』はそれらを結ぶドキュメントです。
初期の親密なブルースから、巨大な会場を飲み込む絶唱まで――同じ歌い手の中にあった距離の大きさこそが、この少し不揃いで、だからこそ替えの利かない編集盤の魅力です。
Citations:
https://janisjoplin.com/album/janis-compilation/
https://en.wikipedia.org/wiki/Janis_(1975_album)



