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ニコ『カメラ・オブスキュラ』

ニコ『カメラ・オブスキュラ』
ニコ(NICO)の『カメラ・オブスキュラ』(Camera Obscura)

Nico(ニコ)の『Camera Obscura』(カメラ・オブスキュラ)は、彼女にとって最後のスタジオ・アルバムであり、同時に80年代という時代を背景にした独特の「終章」のような作品として位置づけられます[1]。

コンセプトと作品の位置づけ

『カメラ・オブスキュラ』は1985年にBeggars Banquetから発表されたニコの6作目のソロ・スタジオ・アルバムで、彼女の生前最後のスタジオ作品です。
タイトルが示すカメラ・オブスキュラ(暗箱)は、外界の像を暗い箱の中に反転させて投影する装置であり、ニコの音楽世界そのもののメタファーのように受け取られます。
つまり、現実の光景が彼女独自の陰鬱で内省的な視覚・聴覚イメージへと変換される、そのプロセスを象徴しているとも解釈できます[2]。

このアルバムは、70年代初頭の『The Marble Index』『Desertshore』などで確立されたニコのミニマルでゴシックな世界観と、80年代のポスト・パンク/インダストリアル以降のサウンド感覚が交差する作品だと評されています。
前作『Drama of Exile』のロック寄りのバンド・サウンドを引き継ぎつつも、より内面に焦点を当てた「晩年の自己像」を映し出す作品と言えるでしょう[3]。

音楽性・サウンドの特徴

サウンド面では、前作で顕著だったエキゾチックなニューウェイヴ風アプローチに対して、本作ではシンセサイザーを前面に押し出したゴシック寄りのニューウェイヴ/ポスト・インダストリアル的質感が特徴です。 ニコ特有の深いコントラルト・ヴォイスは健在ですが、本作では一部の曲でDead Can Danceのリサ・ジェラルドを思わせるような異教的・儀式的な歌唱に近いニュアンスも指摘されています[1]。

タイトル曲「Camera Obscura」はほとんどヴォーカルを欠いた、セミ・インプロヴィゼーション的なトラックで、サウンド的にはノイズ/インダストリアルとニューウェイヴの境界を漂うような質感を持つと批評されています。 一方で、ジャズ・スタンダード「My Funny Valentine」のカヴァーは、ニコの深い声ゆえの異様なムードを保ちながらも、比較的レガートで「伝統的」な歌唱に近づいたアプローチが取られており、アルバム内での異色かつハイライトとなっています[3]。

また、初期からのレパートリーである「König」や「Tananore」など過去の楽曲が再構築されており、長年ステージで育てられた曲を80年代のシンセ主体の編成やアレンジで録り直すことで、彼女のキャリア全体をふり返るような回顧的側面も感じられます。 ただし「König」に関しては、ニコがソロ・ハルモニウム作品として残すことを強く主張し、他の曲とは異なる裸の形で収められています[1]。

制作背景とエピソード

『カメラ・オブスキュラ』の大きなトピックは、ジョン・ケイルとのスタジオ・コラボレーションが『The End…』以来約10年ぶりに再開されたことです。 ケイルは本作のプロデューサーを務めただけでなく、タイトル曲では共作者・ヴォーカル参加者としてもクレジットされており、ニコのバック・バンドであるThe Factionのメンバー、ジェイムズ・ヤングとグレアム“ディズ”ダウダルと共に曲を書き上げています[4]。

録音は1985年3〜4月にかけて行われ、アルバム全体は3週間ほどで録音とミックスが完了したとされています。 キーボード奏者のジェイムズ・ヤングは、自身の著書『Nico: Songs They Never Play On The Radio』の中で、この時期のツアー生活やレコーディングの様子を半ば諧謔的に、半ば悲哀を込めて描いており、本作がツアー・バンドの延長線上で、比較的短期集中的に作られた作品であったことがうかがえます[4]。

制作方針をめぐっては、特に「König」をめぐるエピソードが象徴的です。ケイルはアルバム全体の統一感を重視し、よりパーカッシヴでシンセを多用したアレンジにしたいと考えていましたが、ニコはこの曲に関してはあくまでハルモニウムだけのソロ演奏であるべきだと譲らなかったと伝えられています。 この対立は、ニコが自分の表現の核を最後まで手放さなかったことを示す印象的なエピソードです[1]。

参加ミュージシャンと編成

本作では、ニコはヴォーカルとハルモニウムを担当し、バックにはThe Factionが付いています。 メンバーの中心は以下の通りです[5]。

  • ニコ(Nico):ヴォーカル、ハルモニウム

The Faction

  • ジェイムズ・ヤング(James Young):キーボード、ピアノ(「My Funny Valentine」「Tananore」など)
  • グレアム“ディズ”ダウダル(Graham "Dids" Dowdall):パーカッション(のちにエレクトロニカ名義Gagarinとしても活動)

ゲスト勢として、ジョン・ケイル(John Cale)がタイトル曲でヴォーカルと共作に参加し、プロデューサーとして全体を統括しています。 さらに英国ジャズ界の重鎮イアン・カー(Ian Carr)が「My Funny Valentine」でフリューゲルホルン、「Into the Arena」でトランペットを吹いており、アルバムの中でも特にジャズ的な色彩を加えています。 エンジニアはデイヴ・ヤング(Dave Young)が務めています[5]。

この編成により、ニコの従来のハルモニウム+声という極度にミニマルな構図に、シンセ、リズム・セクション、ジャズのホーンといった要素が重なり、80年代的でありながらもどこか時代錯誤な、独特の空間が生まれています[3]。

収録曲と内容上のポイント

収録曲はインストゥルメンタルを含む全8曲(オリジナルLP)で、ほとんどがニコのオリジナル、あるいは共作曲です。 代表的なポイントをいくつか挙げます[1]。

  • 「Camera Obscura」:半ば即興的な構造を持つタイトル曲で、ケイルやThe Factionとの共作[4]。
  • 「Tananore」「My Heart Is Empty」「Fearfully In Danger」:80年代前半からライヴの定番として演奏されてきた曲で、ツアーを通じて熟成されたレパートリーのスタジオ版と言えます[1]。
  • 「My Funny Valentine」:異様なほど沈んだテンポと深い声にイアン・カーのフリューゲルホルンが重なり、ジャズ・スタンダードをダークでメランコリックな儀式音楽のように変容させています[1]。​
  • 「Das Lied vom einsamen Mädchen」:1952年の映画『Alraune』に由来する楽曲で、ドイツ語の歌詞とともに、ニコのヨーロッパ的ルーツと旧大陸的退廃美を象徴するような存在となっています[1]。​

これらの曲は、彼女が若い頃から抱えてきた孤独、疎外感、そして同時に冷ややかな観察眼を、晩年ならではの距離感と諦念をもって歌い上げているようにも聞こえます[2]。

Side 1

  1. カメラ・オブスキュラ(Camera Obscura) - 3:42
  2. タナレーノ(Tananore) - 4:24
  3. ウィン・ア・フュー(Win a Few) - 6:10
  4. マイ・ファニー・ヴァレンタイン(My Funny Valentine) - 3:23
  5. 孤独な少女の唄(Das Lied vom einsamen Mädchen) - 5:40

Side 2

  1. フィアフリー・イン・デインジャー(Fearfully in Danger) - 7:26
  2. マイ・ハート・イズ・エンプティ(My Heart Is Empty) - 4:37
  3. イントゥ・ジ・アリーナ(Into the Arena) - 4:12
  4. 君主(König) - 4:08

発表時の反響と評価、特筆すべき点

発表当時、『カメラ・オブスキュラ』は大きな商業的成功を収めたわけではありませんが、批評家からは「奇妙だが刺激的な作品」として一定の評価を受けました。
Trouser Pressは、本作をニコの特異な歌唱とポスト・ノイズ/インダストリアル的サウンドの魅力的な融合と評し、ヴォーカルレスに近いタイトル曲の「放浪するような半ランダム即興」と、「My Funny Valentine」の陰鬱な美しさを特に挙げています。
オールミュージックのレトロスペクティヴなレビューでは、「部分的ながらフォームへの回帰」としつつも、ジョン・ケイルの開放的なプロダクションによってそれまでの作品よりも「聴きやすい」側面があると指摘されています[6]。

後年になるにつれて、本作は「マーブル・インデックス三部作」と呼ばれる初期三作とは別の文脈で語られながらも、ニコの晩年像を理解するうえで欠かせない作品として再評価されつつあります。
80年代のニューウェイヴ/ゴス、さらにはインダストリアル以降のアーティストにとって、ニコの存在感と本作の空気感は静かな影響を与え続けていると見ることもできるでしょう[7]。

特筆すべきなのは、このアルバムがニコにとって最後のスタジオ作品でありながら、決して「遺作的総括」に終始していない点です。
過去曲の再録やスタンダードのカヴァーを含みつつも、それらを80年代的なサウンド・デザインの中に投げ込み、なおかつ自分の声とハルモニウムという原点を守り抜いていることは、彼女の頑なな芸術観の証しでもあります[2]。

結果として『カメラ・オブスキュラ』は、ニコの全キャリアを見渡したとき、もっとも商業的ではないかもしれませんが、もっとも「時空がねじれたような」独特の魅力を放つ一枚となっており、その暗い箱の中で、彼女の歌と影が最後にくっきりと結像したアルバムだと言えるのではないでしょうか[2]。

Citations:
[1] https://en.wikipedia.org/wiki/Camera_Obscura_(album)
[2] https://www.davegott.com/music/artist/nico/index.html
[3] https://trouserpress.com/reviews/nico/
[4] https://werksman.home.xs4all.nl/cale/bio/1985.html
[5] https://musicbrainz.org/release/2d177c51-1486-3bca-8657-e4a96aa4e4ca
[6] https://www.allmusic.com/album/camera-obscura-mw0000653212
[7] https://thequietus.com/quietus-reviews/reissue-of-the-week/nico-the-marble-index-trilogy/

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